わたしは秋が嫌いだ。
 生命を漲らせていた緑が、見るも儚い赤へと変わる。
 秋風は散る葉とともに、物悲しい雰囲気を運んで来る。
 その秋風も、温かみというものが感じられない、冷たい風。
 そう、秋は何もかもが冷たいのだ。
 冬の容赦ない冷たさよりも、秋の半端な冷たさの方が堪える。
 秋の風は身体にではなく、心へと突き刺さるからだ。
 そんなわたしにも、秋という季節の中でただ一つだけ好きなものがあった。
 淀みのない、澄み切った夜空。
 その暗幕に、大きな丸が穿たれたかのような月。
 太陽の光をうけて、ぼんやりと輝く満月が好きだった。
 けれど、今ではその満月さえも嫌いだ。
 四年前、秋風が彼女を奪っていったから・・・・・・
 わたしはより完全に、秋そのものが嫌いになったのだ。


     ◇  ◇  ◇


「なに?ケンカ売ってんの?」
 蒸し暑い教室に、刺のある声が響く。
 席に座っているわたしを環状に囲む、数人の女子達。
 男子や他の女子は遠巻きにこの様子を見ている。
 環状の布陣の、代表格と思しき女子が声を発したのだ。
 萩沼、という女子だ。
 ・・・覚える気はあまり無かったけれど。
「・・・・・・・」
 応えるのも馬鹿馬鹿しい。
 極めて冷淡に、鋭利な眼差しを女子達に向ける。
「ひっ・・・」
 女子達のうち誰かが引きつった声を上げた。
 萩沼のみが不敵な笑みを浮かべ、他は怯えた様子を露にしている。
 ・・・所詮、自分を持たない烏合の衆、か。
 空気に流されることしかできない、哀れな存在。
 常に受け身の、無個性な人形達。
 その点、萩沼はなかなか評価できる。
 しかも、能のある鷹のように爪を隠している気がする。
「ちょっと、やめようよ」
 唐突に響く、押しの弱い声。
 唐突、とは思ったものの最近はお決まりの事となりつつある。
 押しが弱いけれどもよく通る、強制的なまでの説得力を持った不思議な声。
 ・・・もちろん、脅迫するような声で、というわけではないのだけれど・・・
 なんというか、その良すぎる人柄が、従わざるを得ない衝動を湧かせるのだ。
「・・・今日は樫原さんに免じて許してあげる」
 萩沼の―――これも実はお決まりな―――台詞を契機に、布陣は解かれた。
 ・・・やはり萩沼も、樫原さんには逆らえないか。
 そんな意味合いの苦笑が漏れた。
「ごめんね、及川さん」
 ・・・及川とは、一応私の姓だ。
「萩沼さんも悪い人じゃないんだけど」
「うん・・・ それはわかってる」
 そう、萩沼は先程の態度の通りの悪、というわけではない。
 むしろ面倒見が良いし、好かれるタイプだ。
 ただ、少し幼稚な人。
 わたしと違うベクトルの、不器用な人。
 かつて、未だに人付き合いが苦手なわたしに、気さくに声を掛けてきた。
 ・・・が、わたしが戸惑って返答しかねているうちにその態度は誤解を招いてしまい・・・
 それから不器用なわたしと萩沼の、不器用な関係が続いている。
 表面上はぎくしゃくしているが実は深刻でもない問題であったりする。
 もっとも、それは樫原さんから萩沼側の様子を聞いて悟った事だが。
 恐らく、好きな女子に意地悪をする男子のように、頑固で少し子供っぽい感情。
 毎回わたしは彼女らを睨むが、実はそれは萩沼に対してではなく、その周りに対してのものである。
 わたしの嫌う、「ただ流動的な、考えを持たない生き方」への侮蔑の意味を込めて。
「及川さん、一緒に帰ろ?」
「ええ」
 ・・・当の樫原さん自身は、気付いていないのだが。
 わたしと萩沼が実は表面ほど仲が悪くない事にも、萩沼ではなく取り巻きを睨んでいる事にも。


     ◇  ◇  ◇


「あれから、四年か・・・」
 そう言って、わたしは透明な液体を一口啜る。
 ・・・苦い。
 一応、時々口にする事はあった。
 ・・・が、この「酒」というものにはどうも慣れる事ができない。
「そうね・・・」
 成人式の後の、三次会。
 ・・・わたしと萩沼だけの。
 呑めないのに酒屋に来るあたり、どうなのだろう、わたしは。
「ねぇ、萩沼」
「うん?」
 一瞬逡巡し。
 ゆっくりと、懐かしくも悲痛な想いを込めて。

「彼女、今頃どうしてるかな・・・」

 その言葉は、重い響きとなってわたしと萩沼に響く。
 あの出来事はあまりにも冷たくわたしと萩沼に降り注いだ。
 ―――否・・・ 今も冷たく、降り注いでいる。
 それは四年間抱いてきた、悔恨の記憶。


     ◇  ◇  ◇


「・・・今日は樫原さんに免じて許してあげる」
 お決まりの台詞を吐き、萩沼は踵を返して歩いていった。
 取り巻き達も―――半泣きでこちらを恨みがましく見つめながら―――萩沼の後をついていった。
「及川さん、一緒に帰ろ?」
 これもお決まりな台詞。
 わたしも「ええ」とお決まりな台詞を紡ぎたかったが、今日はそうはいかなかった。
「ごめん、樫原さん。今日は学園祭の準備があって・・・」
 そう。秋のこの時期となると少しずつ、少しずつ学校は活気付いてくる。
 クラス毎に2名ずつの実行委員に、わたしは選ばれていた。
 もっとも、単にクラスで指名されただけだが。
 わたしを指名したのは、あの萩沼だ。
「そう・・・ じゃあ及川さん、頑張ってね」
 樫原さんには悪いが・・・ 仕方の無い事でもある。
 部に所属していない生徒は即刻帰宅を命じられているし、本格的な準備はまだもう少し先の事だ。
 この時期に動いているのはまだ実行委員だけなのだ。
「うん、さようなら」
「ばいばい」
 笑顔で手を広げる、軽い別れの挨拶。
 樫原さんはその日、一人の帰途についた。


     ◇  ◇  ◇


「ほら萩沼、大丈夫?」
「あ゙〜、あと30歳若かったらあんなの、一ひねりだったのに〜」
 ・・・誰を倒すつもりだろう。ちなみにケンカなどは一切していない。
 それから、あんたは何歳だ。
 まぁ、本当は酔っ払い特有の脈絡もない話だから特に気にする事もないのだけれど。

「・・・あれから、四年経ったんだ・・・」
 誰に言い聞かせるでもなく、ぽつりと呟く。
 身に襲いくる秋風は体よりも心を痛々しく突き刺す。
 あの出来事が怒涛の津波となり去来する。

 あの挨拶は別れには軽すぎて。
 別れはとても果て無くて。
 それは四年間背負ってきた、苦悶の記憶。


     ◇  ◇  ◇


 萩沼が文化祭の話し合いが終わった旨を教師に伝えに行った。
 ・・・ふぅ。ようやく今日の分が終わったか。
 やけに張り切るなぁ、と冷たく観察しつつもそれに乗り気な自分に自己嫌悪。
 乗り気ならば水を差すような感情は不要だ。
 ―――そう、ちょうどその時だったか。

 前触れも無く教室の戸が開き。
「・・・及川!」
 萩沼が、わたしを珍しく名指しで呼んだ。
 息を切らしながら、真剣な顔つきで。
「どうしたの?萩沼」
 というわたしの言葉は、
「樫原さんが・・・!」
 という嫌な響きによって遮られた。
 樫原さんに何かあったのだろうか・・・?
「とにかく一緒に来て・・・」
 と、言うが早いか、萩沼はわたしの手首を掴んで走り出した。

 廊下を抜け、階段を下り、玄関を通り・・・
 担任の車に乗って着いた先は―――

 ただ白く、そのそびえ立つ箱はところどころに枠が穿たれていた。
 独特の雰囲気を漂わせるその建物は―――

 ―――病院、だった。


 「樫原さんが・・・!」。学校を出て。車に乗り。病院に付き。中を歩いて。
 行き着いたのは。霊安室。霊安室?「樫原さんが・・・!」?霊安室?
「樫原さん・・・!」
 萩沼が叫ぶ。言葉にし得ない響きを持たせ。
 少しずつ、わたしの理性が戻ってくる。
 布に包まれた樫原さん。
 血の色が失せ、青みを持った肌。唇。
 安らかに瞼を閉じて。微笑を浮かべているかのように。
 静かに近づいて、腕をとる。
 不思議な方向に曲がった腕。熱は感じられず。
 医師らしき人物が何か云っている。
 何を云っているのかすら解らない。
 それに構わず、わたしは哭いた。


     ◇  ◇  ◇


 あの、永遠の別れに相応しくない軽い挨拶が。
 ・・・あれが、最後ならぬ最期に交わした挨拶となったのだ。
 命の消え際を看取る事も叶わず。全ては終わった後だった。
 原因は運転手側の不注意による交通事故。
 もしその時、運転手が細心の注意を払っていたのなら。
 もしあの時、わたしが実行委員ではなかったのなら。
 もしあの時、例え実行委員でもサボタージュしていたのなら。
 もしあの時、わたしが迷惑を承知で樫原さんを引きとめていたのなら。
 もしあの時、樫原さんが他の誰かと帰っていたのなら。
 もしあの時、わたしがもう少し上手に他人と付き合えたのなら。
 樫原さんは恐らく、わたし達の横に一緒にいたはずなのだ。
 後悔のみがわたしを襲ったのだ。

「でもさ〜」
「?」
 ・・・酔っ払いが復活した。
「さっき今頃どうしてるのか、とか言ってたじゃん?」
 ・・・黙って頷き、次の句を促す。
「樫原さんもそれなりに幸せだと思うよ?」
「な・・・」
 死んでしまった人が幸せ、というのも酷い話である。
「萩沼・・・ どうしてあんたはそんな事が!」
「あー頭に響く・・・ まぁ落ち着いて聞きなって。
どんなに悔やんでも樫原さんは帰ってこないよ?
だったら満足だろうが無念だろうが樫原さんを忘れずに精一杯生きるのが筋ってもんじゃないの?」
「っ・・・」
 わたしが歩いてきた四年。萩沼が歩いてきた四年。
 同じ四年は、けれど遠く隔たれていたようだ。
「それに、及川も周りの人とそれなりに付き合えるようになったじゃん」
「・・・」

 わたしは、それ以上反論する術も意思もなかった。
 反論する必要もない。
 私が背負ってきた氷の四年を、萩沼の四年が溶かす。
 現実は何も変わっていないけれど。
 優しい幻想を抱く事ができた。
「・・・萩沼」
「うん?」
 ―――そして勿論、樫原さん。
「ありがとう」
 萩沼の笑みと、樫原さんの笑みが重なって見えた。


     ◇  ◇  ◇


 わたしは秋が嫌いだ。
 生命を漲らせていた人が、見るも儚い骸へと変わった。
 秋風は散る葉とともに、残酷なほどの後悔、という衝動を運んで来る。
 その秋風自体も、温かみというものが感じられない、冷たい風。
 四年前、秋風が彼女を奪っていったけれど。
 今、わたしには支えがあるから。
 樫原さんの遺した想いと、萩沼という親友がいるから。
 わたしはまた、堂々と満ち足りたあの月が、好きになれそうだ。

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○後書き。

私は秋が好きだ。
紅葉、落葉、秋風、満月・・・ イイネ!(←五月蝿い)

・恋愛要素の封印
・非現実要素の封印
・情景描写をより深く
というのが今回のコンセプト。

恋愛は封じたな、うん。友情らしきものが取って代わったけど。
ファンタジーも入れてないな。最後の方に表現でちょっと入れたけど許容範囲・・・?
情景描写は・・・ いまいちか。まだまだ精進が必要です。

もうちょっと及川の後悔を描ければ良かったかな・・・



で、ちょっと補足を。

・Q.樫原さん、人気は人並みにあるのにいっしょに帰る人いなかったの?
A.
@及川と周囲を馴染ませようとする樫原は説得も兼ねて毎日及川と帰っていた。
Aで、その様子を知っていた周囲は及川もろとも樫原も少し敬遠していた。
エゴだね。

・Q.及川と萩沼、仲悪いんじゃなかったの?
A.
実際はそんなに悪くなかった様子。表面上は対峙が続いていたけど。
そして、二人とも大人になったんです(謎)。
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