闇立ち込める地下への、薄暗い石段。
その一段一段をしっかりと踏み締める。独特の湿り気が肌に絡みつく。
粘り気と言っても過言ではないほどに、執拗に。
耳にはかすかに水音が届き、俺に警戒心を抱かせる。
突如として広がる俺の視界。
薄ぼんやりとした蝋燭の灯に照らされて、捜し人は果たしてそこにいた。
「先生……」
俺の親代わり、恩師である『地蔵先生』が。
先生は俺を見ると、感慨深そうに言った。
「ん? ああ、お前か」
「どうしたんですか?先生。あれほど嫌っていたのに……」
俺は先生が手に握るものを見て言った。
先生の手には、血に塗れた日本刀があった。
刀身は血を吸ったかのように赤黒く、灯火をうけてただただ禍々しく輝いていた。
「ほとほと疲れたのだよ……革命だ。革命が我々には必要なのだ! 我らの! 我らに拠る! 我らの為の! 素晴らしきパーラダイスをここに築こうではないか!」
「変わってしまったんですね、先生……」
そう、先生は変わってしまっていた。
全てを見守るかのようだった地蔵顔が、今ではおぞましいものに見える。
言うまでもない、その笑顔には血が付いているからだ。
「変わった? 違うな。目覚めたのだ。人類の生み出しし憎悪、疑念、憤怒、怠慢……我はその全てを理解したに過ぎぬ」
先生は赤く染まった自分の手を見て震えた。
その手には血の紅だけではなく、自ら光を放つかのような赤も入り交じっていた。
「見よ、この世界を。負の感情に支配されたこの世界を! 人類はなぜ愚かにも過ちへと至る道を廻るのか。そして見よ、この我が力を! 革命はこの手で行う! 理解を知らぬ愚者供を壊し、また新たに創り直すのだ!」
ひとしきり笑い、先生は俺に向き直した。
「……時に。お前は何をしに此処へ来たのだ?」
日本刀をもてあそびながら先生は俺に問う。俺は……
「……先生を、止めに」
親が狂う様を、なぜ黙って見ていられようか。
できることならば、元の先生に戻ってほしい。
もし戻れないのなら、止めるしかない……これ以上狂う前に、安らかな笑顔を取り戻す。
「ほぉう、止めに……はは、これは傑作だ! この我が力を見て尚、我を止めようと、止め得ると思っているのか! 面白い……面白いぞ! ならばその手で我を止めてみよ、我が子よ!」
我が子、か……ああ、あの頃に戻れたのなら。
身寄りの無い俺を引き取って育ててくれた優しい先生に。
されどあの先生はもう戻ってこないのだろう。
どちらでも構わない。
変わり果て狂ったか、あるいは本性を曝け出した先生。
過程がどうあれ、その結果が目の前にいるのだから。
「もう我らに道は要らんだろう?」
先生は、先生の背後にある石段を崩した。
俺も下りてきた石段を崩す。密閉された小さな空間。
その中心に在る蝋燭の灯火も、残りあとわずか。
しかし俺と先生には十分すぎる時間だった。
無明の闇となるより早く、この決着はつくのだろうから。
先生の声が、この密室に響き反響する。
「複雑怪奇、魑魅魍魎が跋扈するこの世界! せめて我々だけは謳歌しようではないか! 楽園へと至る禁断の果実、深く妖しいその味を!」
俺も、帯びた刀を握りしめた。
閉ざされた空間の中、狂気と悲哀は対峙する。
織り成される血の宴。
交わされる刀はいかなる言葉よりも深く、相容れない存在となってしまった二人を語る。
それは激しく、絶えることなく。
相剋の定めを背負っていたかのように、二人の剣舞は続いた。
「なかなか腕を上げたではないか。ん? 我は今、最高に愉しいぞ!」
されど終わりとは必ずくるものだ。
始まるという事実が在った以上、約束されているのは終わりなのだから。
それでも二人は、来るべき終わりの時まで語らった。
革新を望む赤刃と、保守を望む黒刃。
赤と黒の光は、闇に閃き緋色を咲かせた。
そして終焉は、いつも唐突に訪れる。
「ぐ……ぉぉぉぁぁぁぁ……」
先生の腹に走る真一文字。俺の黒刃は先生を切り裂いた。
凶刃を杖に、自らの血を手に取り眺める。
「本当に……強くなった……」
「……先生?」
俺には見えた。狂う以前の先生の面影が。
「はは……お前は……此処で果てるには惜しいな……」
そう言うと先生は赤刃を投げた。
刀に吸われた血の望みか、先生の持つ力か、刀身は紅く輝き岩壁に刺さる。
岩壁は音を立てて崩れた。
……よく見るとそこは、俺が塞いだ石段だった。
「その刀を持っていけ……道を外れた我の分まで……この世界を善きものへと……」
先生は力無く崩れ落ちた。
酷い出血だ、無理もない。
吐く息は浅く早く、残り少ない先生の命を物語る。
「先生!」
「そう……我の分まで……業を背負わせてすまない……お前の道には困難が付きまとうだろう……だが……忘れるな……」
先生は、静かに言葉を振り絞った……
「同時にお前は……秤になど掛けられぬ……至宝を……得……る……我にとっての……お前の……よう……に……」
……先生の死に顔は、地蔵のように慈愛を帯びて安らかだった。
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○これは何かって?
地蔵先生ダンジョン・その1を、ギリギリで引き伸ばしました。
理由は簡単、気分が向いたので!
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