終わりの夜に、彼らは来る。
闇に紛れて戸を叩く。擦れる音と轟く怒声。
手に持った刃はぎらりと月光を照り返し、大きく開いた口は強く食いしばられていた。
私の故郷から遠く離れた北の国、異郷の地。
その世界は白い雪に支配された、極寒の様相。
空気までも凍ったような、痛みを伴う寒さ。
けれど空から舞い降りる白は、静けさと柔らかさとを持っていた。
ぼうっとその辺を見つめたまま数十分。何となく憂鬱になってきた。
「はぁ………」
寒い気候………どちらかというと西側の生まれ、寒さにあまり縁のない私にとっては酷だ。
私はこの地出身の学友に連れられ、大晦日の夜にわざわざ来てやったのだった。
何でも、面白い物が見られるとか見られないとか。
日頃から親しくしている上に、残念ながら予定が無かったので反故にはできない。
………全く、有り難いような迷惑なような。
「んで、その面白い物とやらは?」
一緒にずっと突っ立っていたであろう学友に向かいながら話しかける。
しかし、学友がいたはずの場所には別のモノがいた。
その大きな体躯を覆う箕。
年季の入った、されど手入れの行き届いた出刃包丁。
怒気を孕んだような真っ赤な顔。
黒く長い髪、その中からは角と思しき突起が覗いている。
それはもしかしたら、いや正に―――
「鬼?」
―――まさか。異郷の地とはいえここは日本だ。
それならば非日常は排斥されるが道理。
いかにさほど人通りのない場所とはいえ………そう鬼は出て来るまい。
川辺に佇む鬼と私。
暗闇の中にあっても月を照り返す雪が互いの位置を悟らせる。
しんしんと降りる雪は、この地の壮麗な風情を感じさせた。
赤い鬼は手に持った包丁を空に翳す。
それは月光を受けて銀色に煌めいた。
殺される? 殺されるとすれば私は………喰われるのか?
私の学友も下手すればこいつに喰われたのかもしれない。
しかし辛うじて、それに血液やら体液の類が付着した痕跡はない。
唐突に掲げられた刃は振り下ろされ、私はそれを回避する。
私とてそう簡単に殺されてやるわけにはいかない。
生憎、この世には希望も未練も何もかも、有り余るほどあるのだ。
選択は二つ―――倒すか、逃げるか。
舌打ちをしつつ、私は体を捻る。
鬼が包丁を掲げるなら、私は脚を掲げる。
放った蹴りは鬼の脇腹を捉え、そのまま横へと吹き飛ばす………算段だったのだが。
鬼は蹴りに大して動じず、脚を掴む。そして私を引き寄せた。
―――終わった。逃げた方が懸命だったかもしれない。
理性を持った凶刃が、私の腹へと―――
「はは………回し蹴りは予想外だったぜ」
突き刺さらずに、途中で止まる。
鬼は笑うと、自らの手で顔を覆った。
鬼の顔が、外れた。
「はぁ!?」
学友だ。いずこかへ消え………下手すれば喰われたはずの。
ああ、そういえば背丈が何か誰かに近いなぁと思ったら。
こいつの、ただの悪ふざけだったわけだ。
本物に喰われてしまえば良いのに。
「なまはげっていってな、こんな格好をしたほろ酔い気分の―――げぶぇあ!」
今度こそ吹っ飛ばしてやった。気分が少し晴れる。
聞き慣れない発音が聞こえたするがたぶん気のせいだ。
「おま………肋骨さんが数本逝っちゃいましたよー………?」
なんだか軟体動物のようにくずおれた学友がわめく。
「逝ってるのはお前の頭だ、全く―――」
悪ふざけで包丁を振り回す馬鹿がどこにいるんだ。
北の地の来訪神、なまはげ。
大晦日の夜に彼らは来る。
憤怒の鬼たちは怠惰を懲らしめ、災禍を払い祝福を与えるという。
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