祭だー、という声が遠くから聞こえてくる。
 上空でさえずっている鳥も、きっとこの日を楽しんで謳っているに違いない。
 神社の境内には出店が集まり、賑わいを見せている。
 そう、今日は祭だ。稔りを喜び神に感謝をする……収穫感謝祭を起源とした祭。
 最も、今となってはただの町内祭り程度の認識しかされていないが。

「よしっ、掃除終わり!」
 腰に手を当て竹箒を一回転。今日も空は青く晴れている。
 掃除と言ってもそんなに範囲は広くない、他の人達に場所を貸しているから。
 ……明日はいっぱいゴミが落ちてるんだろうなぁ、と思うと今から憂鬱になる。
「神社のお姉ちゃん、こんにちはー!」
「ん、こんにちは!」
 近所に住んでる女の子。浴衣を着ても普段と変わらず元気いっぱいだ。
 まだ日は沈んでいないけれど、夜を待たずに人が集まってくる。
 今年の祭りも、きっと賑やかで楽しいお祭りになる。
 それを見届け、私は境内の裏へと行く。
「皆様、お楽しみですね!」
 神社の裏には開けた空間。そこは秘密の集会場……酒を呑む、神々の集まり。
 古今東西、うちの神様と親交のある神様達が集まっている。
「おおう、そりゃ年に一度の集まりじゃけん、楽しまなぁ! こっちゃ来て酒を注いでくれんかね」
「はい、只今参ります! 今日も元気ですね!」
 神様にお酌をする。この不思議な訛りの神様は晴れの神様だ。
 明るく温かく、時々気性の荒い神様である。
「うぅっ……わしにも頼む……くぅっ……うっ……」
「雨の神様も……いつも通りですね」
 思わず少し苦笑してしまう。雨の神様は泣き上戸。
 暗く冷たく、けれども晴の神様に負けず劣らず優しい神様だ。
「人間達はなぜ……なぜ殺害を……過ちを犯すんだぁ……」
 いきなり殺害というのも話が飛躍し過ぎている気がするけれども……雨の神様は嘆いた。
「なぁに言うとるね、そったに殺しなぁ起こっとらん。なにを嘆く必要があるね」
 確かに報道されるような事件はたくさんあるが、人間全体の数から見たら頻度はそんなに多く無いのだと思う。
 何十億といて、一日の中で一体その内幾らの人の生死が左右されているのか。
「数の問題じゃないのだ……自分を殺し他人を殺す、心の問題なのだ……」
 ……なるほど。雨の神様の言いたい事はわかった。
 自分に魅力を感じられなくなって、自分を嫌って、自分の存在を否定して。
 他人も同様に端から端まで否定して嫌って避けていって。
 何もかもを否定し尽くして全てが厭になった時、そこには何もなくなる。
 数の問題でなければ肉体の死という事象の問題でもない。まさに心の問題を雨の神様は指しているのだ。
 その人の中に何もなくなってしまえば、その人は自分を殺してしまった事になる。
 独り何も考えず、何も感じず。それは肉体の死よりも惨い死の姿。
「はん、決まっとる。信仰心つーもんが足りんのじゃ!」
 信仰心。ここ日本で宗教と言うと怪しいものと思われがちだ。ひとえにカルトの所為である。
 しかしそうではない。宗教とは、信仰とは本来もっと身近にあるべきもの。
 宗教的な神や超越的な存在を信じずとも、何か拠り所とするべき……確固たるものがあれば良いのだ。
 たとえば教えを、たとえば偶像を。何らかの心の支えがあれば、より強い足取りで道を歩む事が出来るのだから。
「人間は、豊かさに代わる何かを置き去りにしているのだ……」
 ……そう。科学を発展させ、豊かさを得る代わりに。私達はかけがえのないものを失ったのかもしれない。
「だから……人間は嫌なんだぁ……」
「おうおう、そいつは聞き捨てならんなぁ! お前さんとて容赦はせんわ!」
「わしは嫌なんだ……」
 あ、喧嘩のパターン。この二人、たまに会うといつも最終的には喧嘩になる。
 一見晴れの神様が強そうだが、雨の神様も負けちゃいない、良い勝負になる。
「……すまない。あんたにはいつも迷惑掛けるねぇ」
 澄んで心地良いこの声は、うちの神社で奉っているお狐様だ。少なくともあの二人に比べたら落ち着いた、大人な神様である。
 辺りを見回すと、輪の中から少し離れた静かな所でこちらを見て微笑んでいる。
 二人の神様の喧嘩、それをはやし立てる他の神様達を後目に、私はお狐様の元へ。
「悪い奴らじゃないんだが……癖が強くてね」
「いえいえ、素敵なお友達だと思います」
 これはお世辞ではない。私の正直な感想だ。……確かに賑やか過ぎるきらいもあるかもしれないが。
 そうだ、さっきの事……お狐様にも訊いてみよう。
「……お狐様。人間は、今どこに向かおうとしているのでしょうか」
「おや、あんたまであいつらに感化されちまったかい? ……ま、時代の流れさね。昔あった繋がりというものが欠けているのかもしれないねぇ」
 なまじ、一般人の生活レベルでは積極的に他に頼らずとも良いほどの豊かさを得た代わりに。
 他人との協力や協調といったものが欠けていく。交わる機会が減るから。
 その生活レベルは私達比較的富裕な層のもので、人間全体の話ではない。どの層にもどの地域にも、色々な人達が居る。
 どういうわけか、多くは助け合う必要がなくなった途端に必要以上の人付き合いをやめてしまう。
「冷たくなった、とも言えるがね。あたしは繋がりの形が変わったのだと思うね。自分で気付かなければならない、互いに合意しなければならない。いつしかそんな風潮に囚われたのさ」
 昔在り今は無い繋がりの代わりに生まれた、新しい繋がり。互いの声が届かなければ助からない、互いに手を伸ばさなければ助けられない。それは良い繋がりなのか、悪い繋がりなのか。
 ただ待っているだけでは何の手も差し伸べられない。自分から求めなければ与えられない。
「それは……気付けなかった人はどうすれば良いでしょう。声を上げる事を、手を伸ばす事を覚えられなかった人は……群集の中に在って孤独を感じる人は、どうすれば良いでしょうか」
 人の温もりを求めて人混みに交じったのに、そこでそれが得られないのなら……温もりを、何処に。
 声の上げ方を、手の伸ばし方を知らない者は、どうやって。
「……難しい事言うねぇ、あんたも。一番良いのはその人が物事に気付く事だろうね。教えてやらなきゃ駄目だよ。次点は……本人がわからないとしても、あんたみたいな人が見守ってやる事」
「私みたいな人?」
「人畜無害そうで安心できる、頭の中が春な人間さ」
「……お狐様、ひどい」
 私にだって悩むことや落ち込むことくらい、人並みにある。いつまでもずっと楽しそうに……できたら良いけれど、そうではない。
 大なり小なり、浮き沈みがあってこそ人は歩んでいけるのだと思う。ずっと一定の波長で生きていられるなら、その人は何かを捨ててしまっている。
「褒めてるんだよ。ただの一見で信頼して良い、落ち着けると他人に思わせられる人間なんてそうはいないさ」
 そう言いつつもお狐様の表情はからかうような笑み。……私、絶対からかわれてる。
 表情を置いて字面通り捉えるなら、私のような人が側にいて見守ってあげる事……私のように何も考えていなさそうな人が。
「それはさておき。それより重要なのは自分は何処にいて、何なのかという事さ。自分がわからなければ何もかもが胡乱になる。存在の定義を見失っては全てが曖昧になる。手を伸ばそうにも、自分の手がどこにあるかわからないんだ」
 それは……ひどい。自分が何の為に居るかわからないのなら、自分の生きる意味など到底見つけ出す事が出来ない。
 きっと恐ろしい悪循環。自分を嫌い否定して、他人を嫌い否定して。何もかもを否定し尽くしたら、何でもないものになっていく。
 ……末路は見えている。支えの一つも無い家が、立ち続けられるはずが無い。崩れて、家ではなく瓦礫へと。
「その為にも……心の拠り所は必要なのですよね」
「そうさ。だが……我々神も、信じるものが少なくなって力が弱まってきている。心といい我々神といい……科学は量れぬものを駆逐していくのかねぇ、哀しいものさ……」
 お狐様は寂しそうな笑みを浮かべていた。
 この祭も、この神社も、もしかしたら次第に廃れていってしまうのかもしれない。
 そう思うと神社の守人としても私個人としても寂しいものがあった。
 もっと色んな人とお話をして、色んな事を信じてもらおう。
 神様は居るのだと、人間同士はもっと繋がっていけるのだと。
 みんなが笑顔を絶やさず、楽しく暮らしていけたら良い。
 いつまでも神様が身近に居られるようにしたいと……私は思ったのだった。 
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