人食いは嗤って、言った。
「カーニバルの語源を知っているか……?」
 祭の語源を、男に問うた。

 俺は昔から何をやってもダメだった。考える事も、動く事も、俺がする事は全て裏目に出た。
 周りは俺をあざ笑うかのように速く進んでいき、それに不公平さを覚えた。
 何で俺ばかり。俺だってやろうとしているさ、でも鈍いが為に駄目なんだ。
 何で俺以外はさも普通であるかのようにやってのけるのか、わからない。
 鈍いから、俺は周りとの速度に差が出た。誰も俺と合うような奴なんて居ない。
 誰もが俺を置いて、姿も見えない遠くの方へ行った……否、愚鈍な俺の目では姿を捉える事すら出来なかった。
 自分が劣っていると自覚する事ほど惨めな時は無い。足場は崩れて、何もかも……本当に何もかもを、見失っていく。
 自分が好むものや成したい事といった希望まで、全て。俺は一体誰なんだ。何のために生きて居るんだ。
 俺を必要とする人間が居ないなら、要らないなら、なぜ俺は生きて居るんだ。墓穴へと逝きて入れば良いのに。
「カーニバルの語源を知っているか? あれは食人の風習、カニバルから来ているんだ」
 元より、俺を慰める者は飼い犬しか居なかった。親や兄弟、即ち家族に親類でさえ俺を見捨てた。
 俺自信も奴らを信じられなくなった。もはや人間など、居るだけで不快だった。怖ろしく、惨めで、消えたかった。
 だのに、俺は可愛がっていた犬にも辛く当たるようになった。他に接する者などいないというのに。
 虐待が過激化して犬が死ぬまでに……そう時間は、かからなかった。
 その時ふと、肉を食らい相手の力を得る思想を思い出した。今思えばそれはきっと天啓だった。
 そして俺は食ったんだ。死んだ飼い犬を食った。すると全身に力が満ち満ちてきたんだ。
「相手の肉を食らう事で相手の力を内に取り込む。その通りだったさ、俺は五感が冴え渡るのを感じた」
 病み付きになるその感覚。食べる事で栄養や活力ばかりでなく、全てを補っていける。
 ああ、甘美なる囁き……俺は肉を食べる事で失った未来をも取り戻していける。
 それを悟るや否や、俺はひどく高揚した。いつ以来だろうか、心が躍った。
 それから俺は色んなものを食った。犬、猫、蛙、蛇、鳥、魚、その他諸々。俺は肉という肉を食べた。
「やはり一番は人だ。人を食うと頭が冴える。叡智が流れてくる」
 自分が自分でない気がした。自分を超え、人を超えた心地がした。
 やはり理性という機能を持った存在は違う、他の動物とは一線を画す。
 俺はどんどん人を食べて高次の存在へと至るんだ。それが俺の道なんだ。
 無くしていた他者への興味が、再沸する。双方的な関係ではなく、一方的……糧として。
 今まで俺を見下した奴らを見下ろして、食う。それは蠱惑的な響きだった。
「祀れ! 俺は人を食べ全てを補い神となる! 今日は俺が神となる祭だ、生誕祭だ……!」
 哄笑。天を睨み、大口を開けて。上で待っていろ、世を統べる神よ。お前も俺が食べてやるぞ、と。
 とても可笑しそうに、楽しそうに。何人も十何人も何十人もの肉を千切った歯を剥き出しにして。
 あまりの愉快さに涙さえ流しながら、天を仰ぐ。

「生憎、俺は或る意味でお前と同じ……法の外に生きる者だ」
 ……終わりを告げる銃声。それは余りにも呆気なく。
 弾丸は回転しながら条線を描き、頭蓋を撃ち貫き炸裂した。
 神に成る男は紅い曲線を描きながら、緩やかに地面へと吸い込まれていく。
 吸い込まれるのは紅い曲線とて同じ。地面は辺りに撒き散らされた紅をも吸い込んでいく。
 そう。銃声は狂った祭の終わりを、生誕祭が始まる前に終わった事を、告げたのだった。
「お前は神なんかじゃない。プラシーボ効果に踊らされ人からこぼれ落ちた……ただの外道さ」
 銃口から立ち上がる硝煙の香りに顔をしかめながら、男は言った。
 プラシーボ効果。何の薬効も持たぬ……即ち偽薬を処方しても、薬と信じさせる事で何らかの効果を発揮する。
 恐らくはいつしか奴に刷り込まれた思想が、ただの肉を変貌させたのだ。
 神に成り損ねた者を一瞥し、目を伏せて呟く。
「そもそも語意が違っている。……覚えておけ、祭でもカーニバルとは謝肉祭。逆に肉は食べないんだ」
 ちなみに食人のカニバルはカリバルが訛ったもので、カーニバルとは全くの別物らしい。カリバルとはカリブの……まあいい、さすがに話が逸れる。
 煙草をくわえ、火を付ける。そして地に臥した男を見下ろす。笑い、涙を流す、阿呆面。
 こんな戯けの為に奪われる命が不憫だ。……いや、こいつ自体も被害者であったと言うべきなのか。
 恵まれた時に生を受けたが故に、自分が恵まれているという事に気が付かなかった。
 信じられる者が居ない、孤独な存在。群衆の中に在って孤独ならば何処に仲間を求めれば良いのか。
 信仰する宗教すらなく、心の拠り所のない……至って不安定であるがゆえに道を踏み外した者。
 多くを食らい殺めたこの男でさえ、時代の被害者なのだ。ならば本当の罪を誰に気付かせ、贖わせれば良いのか。
 神は何に対して赦しを与えれば良いのか……それすらもが誰も判らない。
 信仰……ああ、そうだ。今日は皮肉にも、地域の神社の……感謝祭だった。
 稔りを喜び、神に感謝し。我らの糧となった者達への感謝をする祭。
 たとえ今はただの町内祭り程度の認識しかされていなくとも、起源は変わらない。今日は、祭なのだ。
「眠れ、獣よ。祭の夜に」
 遠くでは笛や太鼓の音が、忙しく鳴り響いていた。
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