呆気ない銃声をその耳に聞きながら、男は独り、語った……
祭は終われど。物語は……これからも生まれ続けるのだ。

私は創り、壊し、統一する者。占い師を騙り、祭の世界に潜った者。真名を玖条柳という。
今回の祭は楽しめただろうか。私は三つ……この世界を含めると四つの世界を用意させて頂いた。
私自身が潜った世界、神に仕える少女の世界、狂気に囚われ最期を迎える男の世界。
これらはそれぞれ意味合いが違う、祭の世界。この祭は特別なものではない。
物語が生まれる時、そこには信仰がある。帰依があり感謝があり、故に祭である。
第一の祭。これは過去を統合した混沌の祭。幾重の世界を重ね、新たな世界と成す。
第二の祭。これは現在の正から負を見る祭。現在というものを顧み、在り方を探す。
第三の祭。これは現在の負に踊らされた者を見る祭。喜劇とも悲劇とも付かない、三文芝居。
第四の祭……この祭は未来を紡ぐ祭。理想や幻想を織り交ぜ、夢を紡ぐという希望。
拙く歪な形をした、四つの祭。拙く歪なものなりに、生まれ落ちる意味を持たされた世界。
苦が在れば楽が在り、楽が在れば苦がある。表裏は一体となって移ろい続ける。
思えば、我々の生まれ落ちたのも苦を抱く為か。逃れ得ぬ定めに繋がれ続ける為か。
それは否、苦を越え楽を求める為に在る。幸福を追求する為に我々は在る。
だがしかし、見失い易い道である。強くも細い紐を伝うようなものである。
我々はこの道を、至って容易に捨て去る事が出来る。
そして道ならざる道を通った時、誰もが徐々に蝕まれていく。
蝕まれ染まりきった時には錯覚に陥るのだ。
自分は穢れている、何の価値も無い。故に不要であり、居る意味など無い。
むしろ自分など居ない方が世界は上手く回るのではないか。
自分が居るから周囲は要らぬ苦労をさせられているのではないだろうか。
嗚呼、自分など消えて亡くなってしまえば良いのに。
……これはまさしく錯覚なのだ。生、老、病、死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦。
どれほどの苦に囚われようが、生まれ落ちた時点で居る意味があるのだ。
故に要り、故に価値が有る。我々に限らず、この世に生まれ落ちたもの総てに。
その価値を、美の在り方を、我々の心動かすものを捉え、表現する。
それが創るという事。我々の日常の中に煌きは溢れている。
感動を封じ込め、風化させないようにする事が、表現なのである。
故に私は、求めるのならば総てを肯定しよう。肯定が救いとなるならば肯定をしよう。
それでも全てを否定したい、否定されたいと願うのならば私は否定する事を肯定しよう。
どちらを選択するにせよ。創造という行為を試してはみないか。
さあ、共に物語を。祭を紡ごうではないか……
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