大通り、交差点。
灼けるアスファルトの臭いと熱が漂う。
信号が青になる。
一斉に人が歩き出す。
自分も例外ではなく、歩を進める。
その雑踏の中に一際目を引く存在があった。
夏も最中、全身を黒い服で覆っている。
それだけならただ変わった人として認識する程度だろう。
―――問題はその人物の顔にあった。
その人物はこちらに気付き会釈した。
その人物が頭を上げ見せた顔は―――
―――それは目を閉じ、怪しく笑みを浮かべた自分の顔だった。
◇ ◇ ◇
一歩家の外に出る。
夏の陽射しが眩しく、澄んだ空気に熱気を加え始めている。
実に気持ちの良い一日の始まりだ。
今日は早く目が覚めた。よって余裕を持って登校できる。
これこそ理想の朝だろう。
・・・だが、一つだけ理想とは言い難いものがあった。
それは違和感。この景色はいつもと変わらないものだが、違和感を感じる。
朝普通に目覚め、普通に準備し、普通に家を出た。
違和感の原因など―――と思ったが。
ふと視線を感じて辺りを見回すと、違和感の原因は明らかになった。
誰かが実際にこちらを見ている。
そしてその人物には見覚えがあった。
全身黒一色、自分の顔・・・
昨日交差点で見た、自分。
もちろん自分であるという確証は無い。
しかし直感的に「あれは自分だ」と解る感覚。
自分自身はここにいて、そこにもいるという不思議な感覚。
・・・とりあえずこちらから関わらない方が良さそうな気がした。
学校へと歩き始める。
―――視線は未だ鈍く刺さる。
学校が見えてくる。
―――彼は付いてきているらしい。
校門で振り返る。
―――そこに自分はいなかった。
◇ ◇ ◇
「と、いうことがあったんだ・・・」
空いた時間を使い友達に相談した。
根本的な解決にはならなくても、何かヒントは得られるかもしれない。
「ふむ、直感的に自分だと解る、か・・・」
「マジかよ・・・」
二人は真面目に反応してくれた。
「似た話を聞いた事があるな」
「似た話?」
という事は事例のようなものでもあったのだろうか。
「ドッペルゲンガー。聞いた事はあるか?」
「ない」
あるような気もするけどやはり、ない。
「自分だけがもう一人の自分と出会う現象。周りの人間には見えないという。
もう一人の自分の姿は必ずしも現在の自分そのままと言う訳ではない。
そして若かろうが老いていようがそれが自分自身だ、と確信してやまない」
事例ではあるが現象や症例のようなものらしい。
「それがドッペルゲンガーだ」
非現実的な匂いはするが状況は一致してしまう。
「おい、それだけで終わりなのか?」
「何がだ?」
「自分自身を見るだけか、と言う事だよ」
確かに、それだけならば問題はなく、対策を練る必要は―――
「・・・死ぬ」
―――あった。
「ドッペルゲンガーを見た者は死ぬと言われている。
見た数日後に死亡する、見た瞬間に死亡するなど諸説ある。
・・・まぁ伝聞だ、信憑性は保証できない。
実際に存在するのかも解らない、存在しても死にはしないかも知れん」
「・・・気をつけろよ?お前」
「ああ・・・」
肯定するには物的証拠が足りず、否定するには状況証拠が多い。
信じがたいことではあるが気を付けるに越したことはない、というのが現時点の最善である気がした。
◇ ◇ ◇
放課後、色々と寄り道をした後に二人の友達と別れた。
心許ない夜の路地を一人で歩く。
昼にあんな内容を聞かされた後とあって、より不安な気持ちになる。
ただでさえ街灯が少なく、間隔が広い。
宵闇が支配する路地は絶望的な想像を引き起こさせた。
―――ふと、後方で音がした。
地を擦ったと思しきそれは、ほぼ間違いなく人の足音。
それが確実に一歩一歩近づいて来ている。
にじり寄る、という表現の似合うその足音の主へと振り返った。
「嘘だろう・・・」
そこには、出来れば二度と出会いたくは無かった人物がいた。
自分と同じ顔を持つ人物、いや、自分自身だと直感してしまう人物が。
未だ歩を止めず、目を瞑りながらの微笑を湛えて。
その微笑からは、宵闇のせいか邪な印象を受けた。
一歩後ずさる。
しかし対峙する人物も負けじと距離を縮めてくる。
―――背中に硬い感触。
・・・迂闊。既に背後に道はなく、追いつめられた後だった。
袋小路に追い詰めてきたこの人物が安全である確率は低い。
よって、より冷静に逃げる事が最優先事項。
そしてこの場から逃げるにはその目前の人物をやりすごさねばならない。
それには脇を走って逃げる、という以外に無いだろうが、それだけではリスクが高すぎる。
何か併用できる手段を考えなくては。
足元に石は無いかと思ったが、運が悪く落ちていなかった。
が、良く見ると光の跳ね返し方が違う部分がある。
(・・・砂?)
そういえば近くで道路改装工事をしていると聞いた気がしたが、そんな事はどうでも良い。
砂でも牽制には十分である。
砂をかき集めて握り、上手くいく事を願い、人物の顔に向け撒いた。
そして怯んだ瞬間を狙い、走り去る。
策は案外あっさりと成功した。
なるべく距離を稼ぐべく走り続けるが、追う音は無い。
恐る恐る振り返ってみる。
距離と明度で視界は悪いが、人物は砂を受けた場所で確かにうずくまっているようだった。
―――ふと人物が一瞬にしてこちらを睨む。
その顔に驚愕した。
闇に浮かぶ二つの朱い光点。
それは顔で丁度目にあたる部分。
赤くぼんやりと光る目で、こちらを睨んでいた。
ドッペルゲンガー、というのが化け物ならばあれは正にそれなのだろうか。
追ってはこないドッペルゲンガーに恐怖しながら家への道を走った。
◇ ◇ ◇
今日も学校に着く。
昨日の事が頭から離れず、ろくに寝ていない。
正直休んでしまいたかったが、現在家には誰もいない。
誰もいない家にいても余計に不安が募ってしまう気がした。
こういう時こそ友人に相談するべきだろう。
◇ ◇ ◇
「襲われたのか・・・!?」
驚きを露にして友人の一人が声をあげる。
ある種の冗談も混じっていたであろう内容が的中してしまったのだ、さすがに驚くだろう。
「昨日は何とか逃げれたけどな・・」
確かに、昨日は逃げる事ができた。
生きた心地がしないが、ここでこうして話しているのだから間違いは無いはずだ。
「けど、次にこういう事がまた起こるとしたら自信が無い・・」
これも事実。相手は信じたくは無いが化け物だ。
文字通りに化け物じみた、赤い目を持つ人型。
「とりあえず、今日から我々がお前に付こう」
「ああ、そうだな」
「良いのか・・・?」
この厄介事に巻き込んでしまう事にもなりかねない。
「当たり前、だろ?」
「もっとも、話の通り化け物じみているのなら我々が行く意味は無いかも知れんが」
苦笑混じり。
役に立つ、役に立たないよりもその気持ちが嬉しかった。
◇ ◇ ◇
今日も変わらず、放課の鐘は鳴った。
鳴り次第に教室から出、帰途につく。
「本当に良いのか?二人とも道、逆だし」
気が引けるのでもう一度確認してみる。
「友を見捨てては行けんさ」
「だな・・・ 俺は今日、まだ学校で用があってついて行けねぇけど」
瞳に嘘の色は無い。
・・・こういった事を純粋に言える友を持てて、自分は幸せであると思った。
◇ ◇ ◇
「・・・ありがとな」
「なに、気にしなくて良いさ」
気心の知れた友人。
こういった関係は大切にしていかなければならないと思う。
「そういえば今日は本の発売日だったな・・・」
友人の呟きが聞こえた。
「本屋、行くか?」
「いや、いい。友と本を秤にかけるなど罰が当たる」
・・・少し感動した。感動はしたのだが・・・
「・・・なんか悪いよ。行こう」
「まずお前が第一だ。本など後でも買える」
・・・頑固な奴だ。こういう奴には・・・
「じゃあ本屋に行こう。お願いだ」
「・・・卑怯だぞ」
こういう手段しか残っていない。
◇ ◇ ◇
「少し時間がかかるかも知れん。お前も中に入らないか?」
「良いよ。向かいの公園で待ってる」
「・・・大丈夫だろうな?」
「ああ」
・・・心配性だなぁ。
他人事では無いのだけど。
書店に入る友人の背中を見送り、公園へと歩き出す。
歩き出す、とはいえ狭い道路を挟んだ先なので時間は一分も掛からない。
ベンチに腰掛ける。
―――唐突に、人物の手が目下に見える。
直後、首に圧迫感。
(冗談じゃない)
気道を塞がれ、肺に空気が停滞する。
(まだ対策すら練っていないぞ・・・)
意識が朦朧としてくる。
(友人も待っているんだ)
抵抗しようにも手足が思うように動いてはくれない。
(そっちには行きたくない・・・)
だんだんと暗くなり、深く沈み、何も感じる事は無くなった・・・
◇ ◇ ◇
彼はそこに座っていた。
思ったより本の購入に手間取ってしまった。
その事を気に病みながらも、私は友人の元へと駆け寄る。
「すまない、待たせた」
そう、座っていたのだが、―――
「気にするな」
―――その光景に、私はなぜか酷い違和感を感じた。
絡まった紐を見ているような、もどかしい感覚。
「どうした?」
彼が私に尋ねた。
・・・今私は、知らぬ間に彼を訝しがるような視線で見ていたかもしれない。
私は違和感を覚えながらも、それを押し留めた。
「ああ、いや、すまない。行こう」
そして私は、彼をを家へと見送った。
◇ ◇ ◇
・・・その後、彼は学校から姿を消した。
不登校になったとも、誘拐されたとも、殺されたとも言われている・・・
○後書き
ダッシュを使いすぎた気がします・・・
他にも特殊記号を大量に。
整合性に自信が無い・・・
当たり前の事ではあるのですがまだまだ修行が足りないな、と感じました。
○ドッペルゲンガーとは?
ドッペルゲンガーが怪物として扱われるのは作品ではよくあります。
が、実際は症例や現象として扱われる事が多いようです。
ドッペルゲンガーを見ると死ぬ、と言うのもまちまちです。
作中にあったとおり、見た瞬間に死んだ人も、幾度見ても生きている人もいるようです。
まだまだ謎が多い現象です。
○参考文献
「幻想動物事典」著:草野 巧 (新紀元社)
「新装版 ザ・殺人術」著:ジョン・ミネリー 訳:富士 碧 (第三書館)
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