それは、唐突だった。 「来ないでっ! 誰も近付かないで……」 明らかな拒絶の意、悲痛な叫び。 部屋の彼女と廊下の私、張り詰めた冷気。 私と彼女を隔てる扉は悠久、寒々とした空気は無間に思えた。 現実は凍てるように酷く、虚言は雪のように淡く。 時に痛く時に甘く、絡みながらも世は廻る。 冬の空には氷の花。咲いて降り敷く氷の花……冬、虚偽の空。 自己を偽り、精神を磨耗させ続ける虚言。 されど自我を保つは、虚言のみ。 「やっぱあの先生好きだなあ、面白くて」 生徒達が四散する中、女子生徒が言った。 話し掛けられた女生徒……皆木詩乃は口を開く。 「うん、今日も口が滑らかだったね」 笑顔を張り付かせ、淀みなく。 さも同調するかのように。 (……そう。だから私はあの先生が嫌いだ。軽快と言えば聞こえは良いけど……軽薄だと思う) 内で軋む音を立てながら、詩乃は笑う。 本心ではないからこそ完璧な、隙のない笑み。 自己を覆い隠す、自虐めいた虚偽を。 はらはらと舞い落ちる冬の香りが街を彩る。 何を考えるでもなく呆然と窓の外の世界を見、逸らし、詩乃は虚ろに息を吐く。 気を取り直して窓の方を見ていると、ふと会話が耳に入ってきた。 「全く、いつも調子良さそうに軽口を叩いて。ああいうの大嫌い」 「あはは……まあまあ、そう言ってやるなって青柳ー」 詩乃の内心と同じ様な、教師に対する意見か。 直線的に感情を吐く冷ややかな声。恐らくは同級の青柳玲だろうと詩乃は思った。 声のする方を向くと案の定、女子生徒と青柳玲がいた。 (青柳さんは良いなあ。自分を持っていて) それはささやかながらも強固な羨望。 そんな眼差しを窓へと戻し、詩乃は物思いに耽った。 視線を、青柳玲は薄々感じ取っていた。 傍目には……少なくとも玲には、詩乃がある意味孤立しているように思えた。 「亜貴、ちょっとゴメン。詩乃と話してくる」 「ほーい、いってらっしゃーい」 とはいっても誰との仲も悪くなく、かといって仲良くもない。 あからさまでこそないが、控えめな距離を保っているような印象があった。 それは青柳にとっては、あまり好ましくない事に思えた。 だからだろうか。何も考えずに話しかけてしまったのは。 「詩乃」 突然話しかけられて驚いたのか、詩乃の体がびくっと震えた。 詩乃は一呼吸置いて、ゆっくりと口を開く。 「なに?」 何か用か、と言われると何とも言いようがない。 用件そのものがないのだから当然だ。 玲は必死に思案し、とりあえず一つ聞く事を見つけた。 「いつも外を見てる気がするけど……楽しい?」 言って、ああしまった、と思った。 玲は普段、あまり身振り手振りや抑揚というものを会話に加えない。 平たく言ってしまうと、無愛想なのだ。 すると必然、今の聞き方だと突き放したような……棘のある響きになってしまう。 「うん……楽しいよ」 詩乃は笑顔で答えた。玲はほっと内心、胸をなで下ろす。 玲は度々こうして誤解を招き、意図せぬ距離を作ってしまいがちだったためだ。 「そっか……一緒に見てていいかな」 玲の、きっと自分は下手に口を開かない方が良い、と判断しての提案だった。 詩乃の笑顔は変わらなかった。 それを同意と受け取り、玲も詩乃の横から窓の外を見る。 はらはらと舞い降りるそれは冷たくも柔らかい。 白く、限りないかのように降り続ける雪。 それはじきに厚く積もり、冬は一層の存在感を持っていくのだろうな、と思った。 窓の外は雪が降っていた。淡々と、しかし着々と。 初め面白みのないと思っていたその白は、けれど注意深く見ると様々に違いがあり…… 「詩乃」 突如話しかけられ、思わず驚きを顕わにしてしまう。 詩乃が振り向くと青柳玲がいた。 一つ、呼吸を整える。 「なに?」 玲は狼狽したように、在らぬ方向を向いた。 そしてややあって詩乃の方を向くと、口を開いた。 「いつも外を見てる気がするけど……楽しい?」 ……ああ、それは的を射て痛烈な質問。 なぜなら楽しくないとまでは言わないにしても、楽しいとも決して言えない。 興味は感じるが面白くはない。そんな絶妙な距離感があった。 「うん……楽しいよ」 それらを押し殺して、詩乃はこう答えた。 楽しくない、と言ったら窓の外を見るこの行動は矛盾する。 成立させる為の、虚偽。 「そっか……一緒に見てていいかな」 それを玲は疑うことなく信じたようだった。 詩乃は笑顔を以て返した。 羨望する、小さな尊敬を抱く相手を欺く……小さな痛みを感じながら。 はらはらと舞い降りる雪は地面を覆い隠す。 いずれは地表など見えなくなり、一面白で埋まってしまうのだろう。 そんな冬の、地面と雪の関係。詩乃はそこに、とても強い親近感を感じた。 日に日に積もっていく雪。決して一様ではない、氷花の一群。 薄く地を覆ったそれは厚さを増し、踏み締めてゆくほどに。 そう、秋の終わった街はいつの間にか冬そのもの。 化粧めいたそれは等しく街に降り積もっている。 水は凍り、軒先からはつららが垂れている。 晴れると濡れ凍った道路は太陽の光線を跳ね返す。 それは光り輝く、銀の道。直視するにはあまりに眩い道。 眩しすぎる光は闇によく似ている。 そういった意味でなら、冬とは白と黒の混在する季節だった。 ほぼ真上まで昇った太陽。白い雪はその光線をひどく跳ね返す。 お陰で眩しく、どこも輝いているような。 二人は一緒に窓の外を見た翌日から、一緒に昼食を食べる仲になっていた。 「詩乃、そのマスコット可愛いね。どこで買ったの?」 玲は志乃の弁当箱が入った袋、それに付いたマスコットを指して言った。 玲の記憶では昨日まではついていなかったものだ。 とても丁寧な作りの、猫のマスコット。 すると詩乃はゆるく首を振り、質問に答えた。 「ううん。……わたしが作ったの」 心持ち照れたような表情を浮かべながら。 恐らくは謙遜、羞恥の類なのだろうが……どちらも不要な出来だと玲は思った。 売っているものだと疑わなかったために、何処で買ったのかと訊いたのだった。 「作った? 自分で!?」 素直に驚きを表す玲。感嘆の溜息すら漏らして、うっとりと見入る。 「うん。玲ちゃんも何か作ってみない? 少しだけど教えられると思う」 「うーん……」 玲の、煮え切らない返事。どうしたものかと苦い表情をしている。 そこへ騒がしい人物が割り込んできた。 「あっははは……青柳はダメだよ。ぶきっちょだからね!」 萩沼亜貴。玲は態度は軽いが憎めない奴、と認識していた。 詩乃にとってはわからないが、玲にとっては比較的よく話す相手ではある。 そのせいもあってか、亜貴に突然不器用を指摘された事に少しかっとなる。 「う、うるさいっ! いきなり出てきて失礼な事を!」 「いいじゃーん、たまにはあたしも混ぜとくれよ。ね、皆木さん、青柳! あたしだって寂しいんだよー……なんで一緒に食べてくれないかね?」 そう訊ねる亜貴は弁当箱を開けており、既に混ざる気でいた。 玲は思わず弁当の中身を凝視する。納豆とチーズのサンドイッチ、アボカドに醤油、胡瓜に蜂蜜……? 玲は亜貴の感覚に眩暈を覚えた。 「……相変わらずね、色々な意味で」 詩乃は、堪えきれなかったのか笑っていた。 詩乃は成り行きを見守っていた。 「う、うるさいっ! いきなり出てきて失礼な事を!」 玲は不器用……詩乃はそんな事知らなかった。 玲がそれを指摘されてうろたえる顔も、詩乃は知らなかった。 「いいじゃーん、たまにはあたしも混ぜとくれよ……」 亜貴が人懐こく玲と詩乃に擦り寄る。 (亜貴ちゃんは……この人も、憎めない人だ。玲ちゃんと同じ) 詩乃は笑みを張り付かせる。 ――これもまた、虚偽。 本当は少し、いや……とても寂しい。 でもこれはきっと二人にとって理不尽な寂しさ。 そして二人とも憎むべき人じゃあない。 (それならわたしは……どこに救いを求めれば良いの……?) ……雪が、積もっていた。 先日の晴れ間が嘘のような、どんよりとした曇りの日。 辛うじて見える斜陽の光にも、心なしか陰りがあった。 夕方となったのに色彩のない、重い空だった。 「……あ。仕事あったんだ」 青柳は図書委員会に所属している。 その仕事が放課後にあるという連絡を、まさに帰る直前に思い出したのだった。 「ごめん、詩乃。今日は一緒に帰れないかなぁ……」 さすがに仕事をすっぽかして帰るわけにはいくまい。 申し訳なさげに、玲は詩乃に謝った。 「わ、わたしも手伝う!」 すると詩乃は慌てたように、手伝いを申し出た。 「ん……いいよ私だけで間に合うと思う。詩乃は先に帰ってて」 気持ちは嬉しい。しかし詩乃は図書委員ではないし、聞いた仕事の内容は書架の整理。 大量の本の移動は詩乃には酷だろうとも思ってのことだった。 しかし、詩乃の様子は一変していた。 ぱたぱたとした動から、むしろ毅然とした静に。 「……それはわたしがいらないから?」 「……え?」 聞き取れなかったのではない。よく理解できなかった。 それは、詩乃が、いらないから……? まさか。断じて、ありえない。そんな意図なんてない。それなのに。 「いいの。わたしが一番良く知ってる。わたしなんて居なくても世界は回る。わたしが居る必要も、意味さえも……有りはしない」 どうしてこんなに詩乃は“変わって”しまったのだろう……? 「詩……乃……?」 輝きを失った目。それを隠すように詩乃は俯いた。 玲に背を向けて、詩乃は足早に歩き出す。 「じゃあわたし、帰る。玲ちゃんの邪魔なんてしたくないから。図書委員のお仕事、頑張ってね」 詩乃はふと振り向いたかと思うとそう言い残し、また歩を進める。 「詩乃っ!」 玲の声は、届かなかった。 あるいは聞こえていただろうが、詩乃は聴かなかったのだろう…… 本を積み上げ、持ち上げ、棚に配置する。 一連の作業をし、その全てを終えても、玲の心はここにはなかった。 詩乃は何故……あんなにも“変わって”…… 「青柳。……ちょっと良い?」 思いがけぬ声の方を向く。亜貴だ。 「ごめん亜貴、あたし気力が……」 「皆木さんの事。正直に言う。さっきの、見てた」 見ていた上で、その場では何も言わず、今更言いたい事……? 玲は少し苛立ったが、理不尽だと思い抑えた。 「皆木さんはきっと、自分の存在に疑問を抱いてた。……気付いてた?」 「……知るわけないじゃない」 何故疑問を抱く必要などあるのか。 そしてそれが先程の事に何の関係があるのか。既に解せない。 存在に疑問を抱くと“変わって”しまうとでも言うのか。 「皆木さんが“変わって”しまった、とか思ってるんじゃない? けれど皆木さんは“変わって”なんかいない。ずっとあのままだった」 ずっとあのままだった……? では本来の詩乃とは、あの、生気を失ったような少女だと言うのだろうか……? 今や玲にとって亜貴の言葉は呪文のように難解な響きとなっていた。 「確かにあたしも迂闊だった。皆木さんがあそこまで敏感だったと思わなかったし……言い訳にはならないけどね。でも青柳。……あんたがやった事は止めを刺したようなものなんだよ」 「……………」 止め。自分が後ろから背中を押して、詩乃を突き落としてしまったのか。 ……それには、肯ける気がした。 「青柳……あんた、自分が何したかわかってんの?」 責めるような口調に心が痛む。 玲とて、自分に非がある事が理解できないような人間ではない。 「……何をしてしまったのかはわからないけど……どうなってしまったかは、わかってるつもり」 それが玲にとって正直なところだった。全てではないけれど……わかるところが確実にある。 「ふむ。なら良ーし!」 「……は?」 真面目だった亜貴が、突然普段の調子に戻る。 あまりにも切り替わりが早かったので、拍子抜けしてしまった。 「だって、落ち込んでばかりいても仕方ないじゃん? もうやっちゃったんだから。これからどうするか考える方が余程有意義だと思わない? 急がば回れ!」 これからどうするか。……どうすれば良いのだろうか。 何をすれば良いのか、あと一歩という所で掴みかねていた。 ――玲ちゃんにはわたしはいらない。亜貴ちゃんにもわたしはいらない。 わたしがいなくても、二人だけで楽しくお話が出来る。 お手伝いも出来ないわたしは、きっと何の役にも立ちはしない。 何も出来ないし、どこにも必要とされていない。 つまり、世界はわたしなんかいなくても何ら変わらず回っていくんだ。 それどころか、疎ましく思われているかもしれない。 迷惑をかけてばかりで、申し訳なく思う。 それに……わたしは自分自身にさえ嘘を重ねて生きている。 こんなわたしに……生きる意味なんてあるのだろうか。 翌日、詩乃は学校を休んだ。 昨日の亜貴の話もあり、玲は授業になど身が入らなかった。 放課となっても玲はじっと机を見つめて呆然としていた。 その前の席に亜貴が座り、顔を寄せてきた。 「青柳。……まだ考えてんの?」 亜貴に返す言葉すら見当たらなかった。 詩乃の事を考えれば考えるほどに、それは複雑に絡まっていく気がした。 その様子を答えと見たのか、苦笑しながら亜貴は言った。 「まあ、なんだ。このあたしに何でも相談してみなっ!」 「うん……」 玲は話した。絡んだ思考を、少しずつほぐしながら。 順序も何もあったものではない拙いものだったが、亜貴は静かに聞いてくれた。 そして玲は、話しているうちに絡んだものが整然となっていくのを感じていた。 「……ありがとう、亜貴」 玲は薄らと笑みを浮かべて言った。胸の辺りが軽くなるのを感じたからだ。 「礼なんて要らない要らないっ! 話してくれてあたしゃ嬉しいよ」 大げさにも涙を拭う動作をする亜貴。動作だけで別に涙は出ていない。 「それよりも、さ」 今度はいたずらっぽく笑いながら、亜貴が玲に顔を寄せる。 「青柳がするべき事、見えてきたんじゃないの? 善は急げ!」 急がば回れの次は善は急げか、と苦笑しつつも肯く。 「全く、亜貴って……いや、ありがとう。私、行ってくる!」 玲は鞄を引っ掴み教室を飛び出していった。 亜貴はどこに、など訊ねない。きっと玲が向かうは志乃の家。 駆け出す玲を見送り、一息吐く。 そして苦笑して、立ち上がった。 「さてと。……悲しいのはやだし、行きますか!」 亜貴は大きく伸びをして、頬を打った。 幾度か一緒に帰った事もあり、玲は詩乃の家を知っていた。 玲を出迎えたのは詩乃の母だった。 どうしたものかわからないと言う母に、玲は申し訳無く思った。 「詩乃。……ゆっくり話そう?」 玲は扉越しに声を掛ける。 「来ないでよ……」 ひどく不安定な声音。何もかもが揺らいでいる。 ドアノブに手をかけるが、当然のように鍵がかかっており扉は開かない。 「来ないでっ! 誰も近付かないで……」 悲痛な叫び。詩乃が内にが秘めていたものとは、こんなにも激しかったのか。 固く閉められた扉が、立ち込めた寒々とした空気が、玲には拒絶しているかのように思えた。 しかし玲もそれに怯む事はない。既に、ただ真っ直ぐに話をする他ないのだと薄ら悟っていた。 「それは無理。私は詩乃の事……放っておけない。まだまだ詩乃と話したいから」 「……玲ちゃんにはわたしなんていらないでしょ」 ああ……ようやくわかった。亜貴の話の真意が。 何も難しい事は無い。詩乃は信号を送っていた。それに気付かなかっただけなのだ。 きっと自分に自信が持てなくて、自分が居ていいのかわからなくて。 不安で仕方なかっただろうに、気付けなかったのだ。 雪が降り積もり地面を覆い隠すように、心に嘘を重ねて。 玲は後悔に打ちひしがれたくなったが、それをも抑えた。 「詩乃が居なきゃ駄目なのよ。詩乃としか出来ない話もあるの」 「ふざけないでよ……玲ちゃんにわたしの何が判るっていうの!?」 その言葉に胸が痛む。そう、何もかもを理解している、などとは言えない。 口に出さない事までも理解できたら、どれだけ良い事か。 それが出来ないから今、玲と詩乃の間には扉があるのだ。 「例えば……詩乃は手芸が好き」 志乃の意図からはずれているように思うが、まずは言葉を発しなければ始まらない。 下手に考えるよりも、実際に動いてみた方が上手くいくものだ。 「そう……特にぬいぐるみは、作るのはもちろん買うのも見るのも大好き」 好きでなければ趣味は続かない。 あれほど巧いマスコットを作った詩乃は、恐らくは手芸が好きであるはずだ。 「……………」 「ごめんね、詩乃。全部推測。だけど……詩乃を見ていないと考えもつかない事だと思う。いらないなんて事、絶対に無い」 自分を疑問に思うことなんて無い。もっと自信を持って良い。 不安なんて感じる事無く、必要とされていると実感して欲しい。 心から、言葉を口に出す。 「そういう事だよ、皆木さん。皆木さんも自分を持ってる。表に出せてないだけ」 振り向けば、亜貴だった。亜貴は握り拳に親指を立てると扉の向こうの詩乃へと向き直した。 「皆木さんも、青柳もさ。いっつも考えすぎ。もっと気楽にいこう?」 玲は、口を挟まずに亜貴の言葉を聴いていた。 亜貴は青柳も、と言った。詩乃だけに向けた言葉ではないのだ。 「一人で悩む必要なんて無いんだよ。独りじゃないんだから」 「……………」 沈黙。誰も口を開かない静寂。 まるでそれを乱さぬように怯えているかのように。 静かに、ゆっくりと……扉が開いた。 詩乃のまぶたは泣き腫らし紅く、口を結んだ……硬く曖昧な表情を浮かべていた。 それも束の間、安堵したように涙を流す。 玲はそんな詩乃を抱き寄せ、泣きながら頭を撫でた。 二人とも声を上げて泣いた。 そしてその様子を見る亜貴の顔にも、撫でる玲にも、撫でられる詩乃にも……笑みが浮んでいた。 恐らくは同じ事を想い、そして謳いながら。 扉が、開いたのだ。 ただ漠然と抱いた恐怖。素直に曝け出せない胸裏。 真実が放つ輝きよりも嘘が放つ輝きはより強く、いつしか人は虚偽に塗れる。 虚ろを重ねる世界では、眩しすぎる光は闇に良く似ている。 冷たい空に咲く氷花。冬、虚偽の空。 そしてこれは不器用な二人が理解し合った、その後の話。 時は流れ数ヶ月。 段々と寒さが薄れ、白の画布に少しずつ色が増える。 ぼんやりと芽吹いた薄緑が微笑ましい、小春日和。 暖かな日差しの中、頑なだった扉を越えたその先、詩乃の部屋。 玲の希望により、詩乃は趣味の手芸を玲に教えていた。 始めは何から何まで危うかったが、一通りの工程は安全に玲一人でできるようになった。 ただ、精度等は別としての話だが。 「詩乃。こんな感じでどう?」 「うーん、もうちょっと右の方が良いかな」 ふわふわと触り心地の良い、クマのぬいぐるみ。 その首に飾り付けたリボンを指差し言う。 確かに、左寄りというべきか位置が偏っている。 むぅ、と小さく漏らして玲は修正作業にかかる。 「……ん……こう?」 位置は良かったのだが、今度は結び方が酷く崩れている。 そして形を整えようとすると反対側が崩れ、直しては崩れ、直しては崩れ…… その堂々巡りを見て、詩乃は思わず笑い出す。 「……玲ちゃん、本当に不器用だね」 「なっ……慣れてないんだから仕方ないでしょ!」 玲が必死に反論している。 詩乃はもう一度口を開くと静かに言った。 「見込み……無いね」 「……そんなに言わなくても……」 困ったように詩乃を見る玲。 その様子に、詩乃は思わず吹き出す。 「あはは、これは嘘。わたしも最初は今の玲ちゃんみたいな感じだったしね」 「詩乃ーっ!」 無理に周りに合わせる必要なんてない。 ぶつかる時はぶつかって、後で和解すればいい。 怖れて立ち止まる事こそが、一番恐ろしい事なのだ。 案ずるより生むが易し、案外と柔軟に世界は廻っている。 部屋に戻ってきた亜貴が、調子良く口を開く。 「さーてそれではお二人さん、恒例の納豆カレーいきますか!」 目を見開いて顔を見合わせる二人。 「納豆……」 「カレー……?」 納豆といえば発酵させた大豆、カレーとはあのカレーライスだろう。 どちらもとても強い個性を持った食品であるのは確実。 その二つが混ざり合ったものなど考えられない。 それに正直、何が恒例なのか解りかねていた。だが…… 「む……納豆カレーを馬鹿にしてるな? 意外とマイルドで美味しいんだけど!?」 そう、不調和と思える組み合わせだが、意外と美味しいのかもしれない。 味は想像ができないからこそ期待ができる。 不味かったら期待外れだったと、笑ってしまえばいい。 美味かろうが不味かろうが……楽しむ事が出来たのなら、それが何よりの糧となる。 「亜貴ちゃん、私達食べるよ。皆で食べよう!」 終わりの季節が過ぎ、始まりの季節が訪れようとしている。 追憶の月を越え、虚偽の氷花を経て、また新たな空が。 きっと空は、見上げる度に違った美しさを見せてくれるだろう。 どれだけ冬が厳しかったとしても、氷雪を割って萌える草木があるのだから。 ---------------------------------------- ○あとがき 納豆カレー、再び。萩沼も再び。 それはそうとまとめ方というか……内容が安易で足りなかったです。 あとあれだね。もっとポエムっぽい感じになる予定だった気がする。 当初の予定からの逸脱なんてままある事ですし良いですがー。 |