あれは、突然のことだった。
 けれど必然のことだった。
 一方が崩れれば、もう片方に流れ込む。
 均衡とは対等な物が適切な位置に在ってこそ。
 どこかが少し変わってしまえば、あっさりと崩れてしまうものなのだ。


     ◇  ◇  ◇


 冬見の様子がまた一変する。
 あれだけ悩ましげな苦しさを帯びていた喘ぎが、嘘のように止む。
 赤らんだ頬もすっと色が引き、はっとするような白い肌。
 あまりの急変に、本能的な怖れを抱く。それを必死に押さえながら冬見に呼びかけた。

 ――その時、冷気が迸った……

 冬見を中心とした、暴力的な奔流。それは吹雪と形容するに相応しい衝撃。
「嘘……だろう……?」
 違うが、似ている。この圧倒的な存在感はあの男に良く似た……
 あの男が得たのは魔神の力。……魔神。あれは何の魔神と呼ばれていた?
 そう、“炎氷の魔神”と。あの男が持っていた力が炎であるならば。
 一体、氷の方は何処へ行った……?


第六話「炎氷」


 ……それは、言うなれば愚問だった。
 なぜなら目の前の冬見は……もはや冬見と呼ぶには抵抗を感じる程の禍々しさを発していた。
 絶対という言葉を以って確信できる。炎氷の魔神の氷の力……それは冬見に継承された。
 では……何故?いつの間に?……その答えまでは、その時点では及ぶ事が出来なかった。

 狂おしき太陽を覆い隠す暗雲。
 街には吹雪が吹き荒れ、氷像となった人々の姿は悲愴の陰を街に落とす。
 冷たい、高らかな嗤い声が街にこだまする。
 宙で嗤う女は長い黒髪を靡かせ、私に指を向ける。
 そして指先で集中した力は矢尻のような形となった。
 無慈悲なまでに鋭く、無慈悲なまでに硬く冷たいその刺は。
 やはり無慈悲なまでに容赦なく、私の体を貫いた――

 既視感。この一瞬の痛覚、以前にもどこかで……
 氷に貫かれた腹から、急速に熱が奪われていく。同時に乖離していく現実感。
 自分に直径5センチ程は有ろうかという氷柱が刺さっている事など、まるで他人事。
 ぼんやりと虚ろになる景色がふわりふわりと漂う。初め赤に、次第に白く塗りつぶされる視覚。
 うっすらと、私を呼ぶ声が聞こえてくる。……冬見?いや……違う。
「ごめんなさい……初めて会う男の子」
「男の子、か。……さほど年は離れていないように見えるが?」
 そう言うものの、この女の人が誰であるか……漠然と見当はついていた。
 同時に、悟った。冬見に何故継承されたか、その理由を。
「からかわないでください。少なくとも貴方の倍以上は生きてるんですから」
 ただ一つの曇りも無く、彼女は笑う。私もつられての、二人での談笑。
 本当に現実感に欠けた……穏やかな時間。
「……一つお願いしたい事があります。貴方に刺さった私……この氷柱で、あの子を止めて下さい」
 それは懇願。談笑した時とは違う、はっとするような強い意志の宿った瞳で彼女は言った。
「わたしがあの子を眠らせます。あの子には繰り返させたくない……」
「……そして冬見が眠ってる間に……私はこの螺旋を断つ方法を探せばいいんだな?」
 彼女は静かに肯いた。祈るような気持ちで言ったそれを、肯定した。
 否定さえしてくれたなら、どれだけ。全てが夢であの頃に帰れたならば。
「宜しく、お願いいたします……」

「士牙! おい……士牙っ!」
 気付くと、私は仰向けの状態で駆侍島に頬を叩かれていた。
 ……馬鹿に隙を見せるとは、とんだ失態だ。私はゆっくりと体を起こす。
「大丈夫だ……」
 ……とは言ったものの、立ち上がるとさすがに眩暈がした。
 目を閉じて心身を落ち着ける。呼吸を整え、静かに目蓋を開く。
 駆侍島が抜いたらしい、私の体を貫いた氷柱を手に取る。
 それは冷たいような温かいような、不思議な感覚。
 そして手に馴染むような触感と、頼りになる硬さを持っていた。
「士牙……そんなもん持ってどうすんだよ……?」
 駆侍島が怪訝な目で私を見る。
「まあ……見ていろ」
 問題はいかにして彼女にこの氷柱をくれてやるか。
 氷柱の主が何とかしてくれれば早いのだが……期待は出来ない。
 右手にしっかりと氷柱を握り締め、思案する。
 宙に浮かんでいる以上、こちらの不利は明白……どうすれば良いのか。
 安全策はないが……しかし賭けに出る事は出来る。
 成功させなければならない賭け。必要なのは運と……反応速度。
 私が一歩踏み出ると、宙に浮かぶ冬見は艶美な笑みを浮かべた。
 次なる氷撃の生成。私は氷柱を左手に持ち替え、右手に剣を出現させ構える。
 もう一度深呼吸する。失敗は……許されない。
 冬見は慈悲の無い大きさまで育った氷を射出した。
 私はそれを右手の剣で、渾身の力を込めて打つ。そして左手に持った氷柱を冬見めがけて投げた。
 右腕が衝撃に痺れ、握力が失われる。それどころか不思議な方向に曲がったように思う。
 だが構わない。私の目的は達する事が出来た。右腕の不自由と引き換えに……氷撃は砕け散った。
 爆砕と表現できる瞬間。大きな氷は細かな欠片となって空を漂う。
 暗雲の中とは言え暗闇の中ではない。小さな氷の欠片の一つ一つが光を屈折させ、視界を遮断する。
 その氷霧の中から、投げた氷柱が冬見を襲う。そして……間違いなく、刺さった。
 我ながら片手で飛刀をやってのけるとは……火事場の馬鹿力か。
 苦悶の表情を浮かべ、地に堕ちる冬見。私は急いで近付く。
 冬見は……皮肉な事に、自我を取り戻しているようだった。
 戻れない、病的なまでの白い肌。冬見は微笑みながら涙を浮かべていた。
 ……胸の芯が、痛む。
 しっかりしていて朗らかで時折とぼけた事を言う、常に笑顔の絶えない娘だった。
 ……どうしてだろう、視界が滲んでいるのは。この間際になって……ようやく私は。
「……すまない」
 今は……眠ってくれ。必ず私は迎えに行く。
 何年とも何十年ともつかない眠りになるが……必ず。
 刺さりの浅かった氷柱を、より深く押し込む。
 とても嫌な感触。とうとう瞳からは雫が零れた。
 止まらない。雫が、痛みが、悲しみが。
 氷柱の刺さったところから、冬見が凍り付いていく。
 ゆるやかに、しかし確実に。冬実を眠りへと導いていた。
 自分で貫いておきながら、氷の侵食を止めようと手を伸ばす。
 冷たさが痛い。だが構うものか……私は触れて居たかった。
 けれど止まりはしない。もう止まらない、何もかもが。
 いずれ氷柱は溶け、冬見は凍りついた。
 微笑みを湛えてはいるが……もう笑わない。たった今、冬見の時間は止まった。
 私は声を上げて泣き……意識は程なくして途絶えた。


     ◇  ◇  ◇


 失血による意識の混濁から目が覚めると、そこは白い白い病室だった。
 白を見ると泣きたくなるのは何故か……それを考えていると緩やかに記憶が呼び起こされていった。
 自分のした事に震え、泣き出した。締め付けられるような、ぽっかりと穴が開いたような気分。
 カンザキさんが程なくしてやって来て、事の顛末を話してくれた。
 焔の末路、炎氷の魔神という均衡、先代の氷の継承者。
 先代はやはり、冬見の母だった。親子であり存在的に近しい事、均衡が崩れた事。
 この二つが重なり……今回の結果を招いたのではないかということだった。
 現在の……氷漬けの継承者は、この街にあるという魔神の塚……そこに眠っているらしい。
 そのまま、カンザキさんは巻き込んだ事に謝罪をし、旅立っていった。


 病院を出、ふと振り返る。
 上を見上げると、この世界での私のルーツがそびえていた。
「神崎総合病院、か……」
 この世界に潜ってから初めに見た、院名には相応しくない過度な装飾の成された看板。
 辺りで一番目立っており……かつての、虚飾に満ちた私を思わせる看板。
 自分への皮肉のつもりで名乗った「カンザキ」。短い付き合いだった……否、また使う事になろうが。
 私はしかと責任を取らなければならない。これは数多の世界を渡り歩く私の、義務。


     ◇  ◇  ◇


 ――**年後

 黒いコートと黒い帽子に身を包んだ一人の男が、この街を訪れた。
 寺へと至る長い階段を、一段一段と踏み締める。
 上った先では、僧の格好をした男が竹箒で落ち葉を掃き集めていた。
 僧はコートの男を怪訝そうな目で見たが、男が帽子を取り顔を明らかにすると表情が綻んだ。
「久しぶりだな……見付かったのか?」
「ああ……随分と時間が掛かったが」
 僧は男を労い、続けて言った。
「俺も……見つけておいたぞ。塚の場所」
「すまない、そっちは必要が無かった。途中何度かカンザキさんと会ったからな」
 男は笑い、僧も笑った。再会を喜び、また、再会を待ち侘びる笑み。

 塚は地下深くへと続いており、二人は焦燥感に焼かれた。
 果たして、彼女は其処にいた。氷漬けの微笑、あの時と変わらない長い黒髪。
 時が経って、同じ学年だった筈なのに随分と外見年齢が開いたけれども。
「待たせた……迎えに来たぞ、冬見」
 凍った彼女と凍らせた彼の、経年の再会――
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○後書き@暴露の巻!
イェェェェェェェア!無理やり終わらせたー!←えー……
だって……第一話とかリライトが必要なくらい前に書いたやつだもの。
だからとりあえず今は眠ってもらって……また時期が来たら目を覚ましてもらいます。
そう、Shadowは冬見と同じです。この先もしかしたらShadowも目を覚ます……かもね。
なんせこのシリーズは本来の脳内設定では二つの影とShadow.とその続編で一つですから。
だから書き直すときは……全部を纏めて書き直します。書き直すか判らんけど。
書き直すときは、です。良いですか?書き直すときは、です!←しつこい

後書きで饒舌になる玖条柳。こんなもんでは止まりませんともさ。
本設定は明かすと(薄っぺらさが露呈して)マズイので、最近見つけたものを。
私自身忘れていた没設定をちょっとだけ!


舞台:△△県灘澄市
(心象世界に潜る?)

△△県立灘澄高等学校 生徒
・士牙 有一 1.「私」 2.「君」、目上の人には「あなた」 3.「彼」「彼女」
得物:大剣
言動は曲がっているが根は良い。要らない事を言う。場に流されやすい。笑い上戸。
スポーツ万能な体力バカ、テストでは赤点付近を右往左往。

・灘澄 深雪 1.「私」→「私」 2.「〜くん」「〜さん」→お前 3.「〜くん」「〜さん」
得物:大鎌、氷系魔法
無垢で素直、天然ボケも稀に。頭はトップクラス。
(雪女とか言われる種族。それに目覚めると冷淡にして残酷、非道)

・八島 黄然 1.「俺」 2.「お前」 3.「奴」
得物:銃
凝り性な人。悪く言えばオタ(略)。頭は平均以上ではある。思考が複雑。
掴み所なし。アブナイ。たまにぶつぶつ呟いてて怖い。


冬見はあんま変わってませんね。苗字だけ?それもそのはず……天然も冷酷も結構好きな属性だ。
てか大鎌とか趣味反映しすぎ。そして初めから変貌確定だったようです。
士牙は今の駆侍島かな。人称と武器以外は。笑い上戸ではない……というかあまり出番無かったけど。
粛清される馬鹿ってのは黒子さんのTDOLの影響が大きいと思います。楽しかった……!
駆侍島はまず苗字が違う。それから性格が今の士牙ともまた違った感じ。何だろう。
今後出してみるべきキャラクターかもしれませんね、これは……
このメンバーで展開してたらまた違った話になったかもねぇ……うん。

はい、拙いお話でしたが最期までご愛読頂き有難うございました。
最初に「実験的になんか書いてみよう!」と言って見切り発車したこのお話。
設定や見通しの甘さのせいで数年にかけて薄っぺらい内容がだらだらと続いてしまいました。
駆け足で無理やりに終わらせてしまったけれど、それでも良い勉強になったと思います。
少なくとも、見切り発車した場合には間髪入れず次書かなきゃって事とかは(笑)
たぶんいつか書き直しますよ。さ、頑張るか。次を見据えて。
『大雑把な桃源郷。』トップへ