「来たか……」
 そう、来たのだ。この日が来てしまった。
 一度解け始めた封印は内包する魔力をゆっくりと外に曝け出す。
 阻止する事の出来なかった、力の解放。
 来たのはそれだけではなかった。
 解かれる魔力に人が持つ負の思念が焼き付く。
 それは単純ながらも対抗する術を持たぬものには脅威となりうる存在……
 魔影が、街に現れた。
 視線の先から、地面から、魔影はみるみるうちにその数を増していった。
「……嫌な感じ……」
 冬見が自分の体を抱く。
 私でさえも感じ取ることができる毒気。
 辺りに満ち、さらにはどこかに集中している。
 その毒々しい魔力を、敏感な冬見が受けてなぜ平然としていられようか。
「私は焔を討つ。私からお前達に頼むことは一つ。死ぬな。それだけだ」
 カンザキさんはそう言うと、銀光の一条を手に魔影の群れをくぐる。
 恐らくはその先にいるであろう男、焔をめがけて。
「さて、と。士牙、冬見。少しめんどいけど頑張ろうぜ!」
「ああ……大丈夫か? 冬見」
「うん、平気……たぶん」
「無理はするな」
 言い、私は身構えた。我々を包囲する魔影へ向けて。


第五話「魔神」


 討つべき魔は、炎腕をたぎらせながら佇んでいた。
 かつて私が欠かせた両腕に、三日前には何も無かった所に……多大な魔力が漲っている。
「焔……」
 焔は不敵に笑いながら私の方を振り向いた。
「良いのか? 冬見の娘を置いて」
「構わない。あの三人なら魔影程度、物ともしない。それに……」
 私は断罪の銀と束縛せし金を手に、焔に向け構えた。
「彼らがいない方が、私も幾分本気を出してお前を葬れる」
「ふん……言ってくれるな。後になって悔やむな……?」
 焔の炎腕が空を這う。それは相当の熱を持って巻き上がる。
 もはや腕の形もしていない。二頭の炎蛇が辺りを這い回る。


     ◇  ◇  ◇


「はぁ、はぁ……っ……はぁ……」
 傍目に見ても判る程、ひどく息が上がっている。
 心なしか熱っぽく、それでいて寒そうに見える。
 少なくとも、体調が万全であるようには見えなかった。
「……大丈夫か、冬見?」
「うん……へーき」
 冬見は笑顔を作って答える。
 どうひいき目に見ても平気そうではない。
 恐らくは心配させまいとしているのだろう、弱々しい笑みが逆に痛かった。
 冬見にこれ以上の無理をさせないためにも、さっさと片付けるべきだろう。
「駆侍島!」
「ああ、任せろ!」
 どうやら意図は伝わったらしかった。
 私達でなるべく速やかに……奴らを片づける。
 そう決意すると……自分でも不思議なほどに、力が湧く気がした。
「剣は俺に合わねぇ。んで、親父が拳で戦ったなら……俺も俺なりに戦うぜ!」
 そう言うと駆侍島は具現化させた剣を逆手に持った。
 ファンタジーの盗賊めいたそれは駆侍島になぜだか合っていた。
 ……意地汚いからな。執念だけは尊敬に値する。
 恐らくは基本拳で、止めは剣で。先日の様子に比べると実に動き易そうだった。
 駆侍島は私の想像を超える生き生きとした動きで、魔影達を下していく。
 冬見も体調の不良を圧し、慎ましやかながらも凍結する斬撃を浴びせていた。
「私も頑張らねば、な」
 カンザキさんは、私の魔術特性は焔に似ていると言った。
 ということは、私は何かを呼べるのだろうか。これは浅はかな考えか?
 正鵠を得ていたとしても、何をしたら良いのかはわからないが。
 ……いや。この剣は要らないと念じて消し、要ると念じ出すのだ。
 恐らくはイメージ。何かを呼び出すイメージ。
 考えを巡らせつつ、着実に魔影をあしらっていく。
 ざくざくと魔影を薙いでいた駆侍島がある一点を見、呆然と動きを止めた。
「おいおい、ありゃ反則だろ……」
 駆侍島はそう呟いたらしかった。
 つられて一目見、私も唖然とした。
 周囲の建物と比較して察するに……9メートル程だろうか?
 大きな人影が、その建物たちを破壊しながら迫ってくる。
 ええい、影を刻めるだけマシだ。やるしかない。
「冬見は無理するな! 私達がやる!」
「……あ、ありがとー!」
 そのやりとりを見て、駆侍島は笑っていた。
「ちっ、良いとこ取っていきやがって! 妬けるねぇ! ひゅー!」
「五月蠅いぞ!」「うるさいよ!」
「ちょっ……俺もこれからあのデカブツと戦うんだけどっ……?」
 同時に駆侍島の鳩尾へ一撃。うむ、連係はしっかりと取れそうだ。
 二人でその大きな魔影へと詰め寄る。
 とはいえ相手は大きい。高さで言うなら膝にも及ばない。
 斬ってはみるものの、効いているかどうか怪しい。
 縮尺が違うのだから、微々たる痛手にしかなっていないと思われる。
 魔影は私達を意に介さず、ひたすら建物を崩しながら前進。
 様々な角度から回り込み、刻んでみるが……いっこうに戦況に変化が見えない。
 それどころか、積極的な攻撃は無いものの……油断して呆けていれば私達が踏み潰される。
 その時、閃く。
 イメージ。大口を開けたもの。排水溝のような、掃き溜めのような。
「駆侍島、離れろ!」
 そう言うと同時に、私自身も魔影と距離を取る。
 魔影の足下には……十一本の柱。
 そう思った刹那、柱と周囲の土が盛り上がる。
 そこからは一瞬だった。
 巨人とも言うべき魔影は足下からの来訪者に呑み込まれた。
 そして柱は出口を塞ぎ、ゆっくりと地に姿を消した。
 魔影が……喰われた?
「お前……やっぱり怖いな……」
 駆侍島が信じられないものを見るような目で私を見る。
 無理もない。出したと思われる私自身、驚いているのだから。
 イメージはもう湧かない。
 万一浮かんだら危ないな、と思いつつ試すが……無理だ。
 つまりもう一度出そうとしても、あんなものは出せないに違いない。
「よっしゃ、気を取り直して……残りも片付けようぜ!」


     ◇  ◇  ◇


 金線と炎蛇の応酬。
 投擲される金のダガーを、炎腕もまた的確に受け止めていた。
 縦に振れば横に流し。横に振れば下へ叩き落とす。
 どちらも傷を負わないそれは決着のつかぬ不毛な戦いに見えた。
 だが不意に炎蛇が延びる。迅速な一撃を、カンザキは横へ身を滑らせ回避する。
 その炎蛇は方向を転換し、第二撃がカンザキの背後を襲う。
 これも間一髪身をよじり、かろうじて回避する。
 しかし炎蛇の体躯は、カンザキを包囲していた。
 円環の様相を呈したそれは、円の中心たるカンザキへ向け収縮した。
 身に絡まる炎蛇。身悶えるような焦熱がカンザキにまとわりつく。
 焔は嗤った。俺は魔神を取り込んだ。十七年前、腕を亡くした俺とは違うのだと。
 その様子を見、炎に包まれたカンザキもまた……嗤った。
 手には薙刀に良く似た……銀の一条。魔を討つべくして創られた『断罪せし銀』。
 これは完成した。三日前の、未完成な武器とは違うのだと。
 カンザキは回転しながら周囲を薙いだ。
 発生する鎌鼬が、カンザキを中心とした円を押し広げ、やがて打ち消した。
 炎蛇……腕の一本を再び失った焔は焦りの表情を浮かべる。
 魔神の力を持ってしても……俺はこの男には敵わないのか?
 その不安は的中する。
 眼前に、無数に迫り来る斬撃。それはもはや、緻密に張り巡らされた……一種の幕。
 隙の無いそれに、焔はむしろ……見惚れた。
 一瞬の後、幕は焔を覆い全身を切り刻む。
 白い斬風の幕は薄れ、代わりに紅い霧が立ち込めた。
 緩やかに崩れ落ちる、両腕の亡い男。
 カンザキは男の脇に立ち、見下ろす。
 地に臥すそれは、魔に魅入られ身を堕とした哀れな男。
「貴様は俺を魔に魅入られた、とでも思っているのだろうな。それは正しく、そして誤っている。
俺は力に魅入られ、魔に引き寄せられた。自らが呼び寄せる者に取り憑かれていった……
手段を選ばず我を通す、それは魔そのものと何ら変わりがないのだろうな」
 ……憑かれる経緯までは知らなかった。哀れなほどに貪欲で、ある意味ひたむきな男。
 しかし、自らの意志で魔に触れた……そう言うのならば尚更に赦しがたい。
「言うがいい、カンザキ。お前の力、この程度ではなかろう?」
 さすがは力に貪欲な男。痛いところを突く。
「……ああ、そうだ」
「やはりな。しかもお前は初めて顔を合わせたときから力を隠していた」
「……半端に解放すると疲れるのでな……」
 そう、私は全身に重りを付けながら戦っているようなものだ。
 お陰で今、疲労が溜まりろくに動く事ができない。
「俺は親切ではない。しかし、無情というほどでもないと自負している。
二つ、命題をくれてやろう。まず、俺は何の為に力を求めたのか。これは追々考えてゆけ。
そしてこれは急を要する……俺が最終的に得た力は何だったか……?」
 いきなり何を言っているのだろうか。
 焔が得た力。それは魔神の力。炎と氷の、魔神の力。
 そもそもなぜ焔は炎の力しか継げなかったのか?
 その答えを私は知っている。それは……
「まさか……!?」
 二つで一つの、魔神の力。片方を滅する事で均衡が崩れる……?
「……訊いたはずだ。後悔はするな、と」
「ちっ……!」
 浅はかだった……均衡が崩れることで何が起こるかは判らないが。
 これでは、彼ら三人全員が無事でいられるシナリオはきっと……ない。


     ◇  ◇  ◇


「ふう……あらかた片付いた……か?」
 街に蔓延していた影どもの形は、見えない。
 私達と魔影の戦いにより所々崩落し、荒れた周囲は焼野という単語を頭によぎらせた。
 しかし悲観的になる必要は無い。後は復興するのみだ。
 むしろ、公共物破損で修繕費を請求されないか心配をすべきかもしれない。
 そんな馬鹿馬鹿しい想像と、それを考える余裕がある事に苦笑した。
「ううっ……!」
 頭を抱えくずおれる冬見。その様子は尋常ではない。
 何かを振り払うかのように頭を振り、追って黒髪が舞う。
 私は駆け寄り、その首に触れる。
 苦しげに喘ぎ紅潮した冬見は、けれど怖ろしく冷たかった。
 熱、という概念を忘れ去ってしまうような、絶対的な冷たさ。
 きっとそれだけのせいではない、私はきっと文字通り……怖ろしかった。
 何に対する恐怖かはわからない。しかしそれに臆する暇はない。
 必死に抑え平静を装い、冬見に呼びかける。
「どうした、冬――」
 その時。冷気が、迸った――
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○後書き
うっひょー書き終えたーっ!
所々展開飛ばしてる所があるかも!
焔第二形態とか!ありがちだしそんなに引っ張る所でも無かったのでやめました!
ここまでも結構飛ばしてる所あるしね!ぶっちゃけ大筋だけ追ってる感じがする!
これは……七話で終わるかな?六話で終わるかな?わっからーん!
二年ぶりの進展?どうぞお楽しみ下さい。
戦闘シーンとか……割と表現に迷うし疲れますねー……

さて!戦闘回数で言うとあと一戦くらいで終わる!
魔神の力って一体何なのか!
第六話で訪れるちょっと鬱かも展開とは一体どんな展開か!
何より……冬見に何が起こったのか!
それらはじきに明かされる……待て次回!
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